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2019.11.06 [イベントレポート]
「撮影が終わる2日前に火事が発生し、撮影ができました。」11/4(月・祝):Q&A『ファイアー・ウィル・カム』

ファイアー・ウィル・カム

©2019 TIFF

 
11/4(月・祝)ワールド・フォーカス『ファイアー・ウィル・カム』の上映後、Q&Aが行われ、オリヴァー・ラクセ監督が登壇しました。
⇒作品詳細
 
オリヴァー・ラクセ監督(以下:監督):(日本語で)ありがとう。
 
監督:日本に来ることができて非常に感謝しておりますし光栄です。本当に嬉しく思っていますし、日本というのは映画の名家と申しますか、色々な巨匠たちがたくさんいる国なのでそこに来られて非常に嬉しく思います。実は風邪をひいておりまして、このような体調で登壇してしまいごめんなさい。
 
矢田部吉彦PD(以下:矢田部PD):山火事が主役だといってもいいと思うんですけど、その火事を映画の主役として撮ろうとした監督の企画のスタートを教えていただけますでしょうか。
 
監督:自分としては山火事をそこまで主役として撮っていないということがあります。母が育ったその渓谷で撮影しました。草原とか色々撮影しました。そこで自分の母だけではなくて、農家の人たちが何世代にもわたって色々な犠牲を払いながら一生懸命働いていたというところなんです。思い入れがあるところで撮影するのはそれだけ映画に影響を与えてしまうということだと思うんですね。山火事を小さいものとして捉えているのではなく、母と息子の愛情というものが非常に大切だということであったりとか、この世の中というのは非常に痛いものがある、農村の痛いところを描いているわけです。それも大事なわけです。
 
矢田部PD:ありがとうございます。例えば監督がお母様から聞いた話であるとか、実体験をベースにしているような部分というものはあるのでしょうか。
 
監督:まず自分の村の記憶というものをちょっとお話しようと思います。両親がフランスに移民したので、自分はパリで生まれたんです。それで、夏休みになると母の村に行ったわけなんですけど、一番の記憶というのは祖父がロバで迎えに来てくれる。つまり舗装された道路がなかったので、荷物を車からロバに詰め替えなければ家までたどり着けなかったという記憶です。何よりも色々こういうものを見たりとか独特の価値観というものに直面したことは非常に大きな影響を与えたのだと思うのです。祖父母というのはよく人生の話、悲劇的な側面の会話をしていたという記憶があります。死やお腹を空かせていた話であるとか、戦争や移民であるとか、そういう話をしていたんですけど、非常に紳士にというか腰を低くして受け入れるという姿勢を持って、これはこういうことでなくてはならなかったんだということを受容していく姿勢を非常に子供心ながらに影響を受けました。多分、そういう路線で映画を作ることになったのではないかなと。映画を作るというのは実はすごく内観することなのだと。自分の本質に繋がっていくということなのだと思っています。
 
Q:存在感がすごくて、くぎ付けになりました。是非ともお母さん役の方について教えてください。
 
監督:母親役の彼女はブラジルに移民したような女性で、1950年代の本当にビーガンで登山家であって本当に魅力的なんですね。一つ問題があったのが非常に性格がはっきりしている。しっかりとした強いというわけではないんですけれども、非常に性格が強いと言ってしまうとあれなんですけれども、はっきり出ている方なので本読みの時にアマドールを押しつぶしてしまう危険性が出てきた。つまりアマドールの問題っていうのは強く押さえつけるような母親がいるから彼の問題が発生しているんだと捉えかねられないのがあったので主人公のべネディクタと仕事をしている時はエネルギーを下げて、なるべく沈黙という側面に焦点を当てていきましょうということをしました。
 
Q:遠目のシーンは実際の山火事に見えたんですけど、消防隊が活動している近いショットは非常にリアルで危険だったと思うんですが、どのように撮影したのか教えてください。
 
監督:2つの夏を経て撮影しました。2017年に消防と一緒に作業ができるようにとトレーニングをしたんですけれども、小さいグループで本当の山火事を撮影したんです。4WDの車に乗ってベースに一人映画のクルーがいて火事がここであるぞと言ったら消防隊と一緒に出動してカメラマンが撮影するといった形で撮影をしました。2018年にはアマドールとベネディクトの冬と春のシーンは撮影が終わっていたので、若い役者さんにも消防士の役をしてもらいました。ある程度現場にいけるような役割を担って撮影を色々したんですが、一つ実際の火事でないのが家が燃え落ちるシーンなんですが、これは火事の再現です。
自分が映画を撮る時に人生に近いところ生活に近いところで映画を作ることが非常に好きで、やっぱりそういうものっていうのは人生とか生活というのはかなり自分たちに影響を与えているものなんだと。与えすぎっていうくらい与えるものなんだなと思うことが非常に多いわけです。今回のこの映画に関しては農村、そこで生活している自分の家族のことを描きたかったのですが、こういう者を描こうと思うと人生を試されていくというのがあるわけです。じゃあ撮影したことを実験していく、色々やってみるんですけれどもそうすると、この映画のテーマが重要ですけれどもじゃあ需要というものを本当に理解しているのかというものを試されていく部分が結構あったわけです。2018年、先ほども申しました通り、映画の2年目で映画の最後の部分を撮影していたところで、お金を無くなってくる保険も切れてくる撮影日数も足りなくなってくるというときでした。元々山火事が毎年ある非常に有名なところで撮影をしていましたが、2018年は1番雨が多かった年なんです。全然火事が撮れなくてそれを受け入れなければいけなかったというのがありました。撮影しこういうことを感じていく中で、自分は本当に些細な存在、ちっぽけな存在なんだと、自分たちが一番大切なわけじゃないんだということ、そんな事を感じていたら、撮影が終わる2日前にようやく火事が発生し、撮影ができました。

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