Close
2019.11.03 [イベントレポート]
「恐怖によって差別が起こる、そういう環境がすごく嫌だなと思います。」11/2(土):Q&A『約束の地のかなた』

約束の地のかなた

©2019 TIFF

2019/11/2(土)ユース『約束の地のかなた』上映後、ヴィクトル・リンドグレーン監督(左)、テレース・ヘーグベリさん(プロデューサー)をお迎えし、Q&Aが行われました。
⇒作品詳細
 
矢田部PD(司会):ヴィクトルさん、テレースさん、ようこそ東京にお越しくださいました。まずは会場の皆様に一言ずつご挨拶頂戴できますでしょうか。
 
ヴィクトル・リンドグレーン監督(以下:監督):お呼びいただきありがとうございました。この上映は素晴らしかったです。大きなスクリーン、技術的に音も映像も素晴らしいものでした。
 
矢田部PD:テレースさんお願いします。
 
テレース・ヘーグベリさん(プロデューサー):こんなに沢山の方にいらしていただき、ありがとうございます。スウェーデン北部の方で映画が作られることは珍しいのですけれども、これはアジアで私たちにとって初の上映になりますし、ここに来られて本当に嬉しいです。
 
矢田部PD:ありがとうございます。ユース部門ということでティーンエイジャーが主人公の作品を取り上げるんですけれども、まず監督が少女二人の物語を映画にしようと思われたきっかけ、経緯をお話しいただけるでしょうか。
 
監督:子供たちの映画はこれまでも撮ってきたんですが、なぜこの二人をと言われると難しいんです。子供というものは成長するにつれ、大人になるにつれて自分のことは自分で面倒見ないといけないし、大変になると思いますが、そういう部分で子供たちというか若い人たちを撮りたかったというのが今回ありました。主人公の彼女たちは1年かけて探したんですが、本当に素晴らしい二人でぜひ彼女たちと映画を作りたい、彼女たちと物語を撮りたいと思いました。演出とかも彼女たちと一緒に考えて、彼女たちは本当に自分たち自身を全身全霊で役に投影し、打ち込んでくれて、本当に素晴らしかったです。
 
Q:手持ちカメラの映像があったかと思いましたが、正しいでしょうか?また作品を撮るにあたってリサーチするために観た作品はありますか?
 
監督:とても動きのある映画ですのでハンドヘルドカメラ、手持ちカメラですね、そちらで撮りました。予算がとても少なかったのでレンズをレンタルで借りたんです。撮影監督の方が自分たちをずっと追いかけてくれて、即興やアドリブの演技も多かったので、どこででもすぐ撮れるようにしてくれました。そんなわけで映像も少し揺れていたりとか震えていたりするんですけれど。撮影監督の方も最初はドキュメンタリー風に撮りたいとおっしゃっていましたが、でももちろん普通の映画っぽくもしたかったので、普通の映画っぽくもありながら映像がぶれるような震えるような感じになっています。2問目について、インスピレーションを受けた映画も沢山あったんですけど、1985年にアカデミー賞にノミネートされた『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が私の中では史上最高でした。映画の一番最初のシーンで、ネタバレはしませんけど、自分の母親のことを主人公が語るシーンがあるんですが、この映画を私の母に観て欲しかったと思っていて、そのシーンをみると私はいつも泣いてしまいます。
 
矢田部PD:即興が多かったとおっしゃいましたが、もう少し具体的にどのように即興が行われたのか、教えていただけますか。
 
監督:即興演技のところは、時間をかけて主人公の二人を探したんですけど、実際の二人が主人公のサビーナとエーリンぽかったんですよね。例えばエーリンの腕の傷は本当に彼女にあった傷ですし、サビーナはお母さんに偽物の携帯で話すシーンがあるんですけど、あれは本当にお母さんに話していて、本当に流している涙なんです。アドリブはたくさんありました。二人にはこういうシーンだということをきちんと説明して、アドリブで演じてもらって、私が演出する。ただ私はルーマニア語が話せないので、よくよく考えたらルーマニア語でアドリブで演技してもらっても何言っているのか分からない。それで、ピザ屋の男が映画の中に出てきたと思うんですけど、その人が俳優であり通訳でもありましたので、二週間ずっとアドリブの通訳もしてくれました。彼がいなかったらこの即興アドリブ演技は成立しなかったと思っています。
 
Q:なぜホルムスンドという場所を舞台にしたのか。もう一つは移民とスウェーデン人の関係は実際の状態を投影しているのかどうかという質問です。
 
監督:なぜホルムスンドで撮ったのかというと、私がホルムスンド出身なんです。それでスウェーデンとヨーロッパの今の状況を描きたいと思ってこの映画を作りました。ホルムスンドにしたのは、自分→私もホルムスンドでそういう状況を見てきたからです。世界はグローバル化が進んでいて、人々が移動して、みんなが色々な国で働くようになることはとても良い変化だと思うんですけど、同時にナショナリズムやそういう政党がどんどん台頭してきて、みんなが怯えている状況になってきました。何に怯えているのか分からないまま、全て自分だけのものにしたい、他なんかに負けたくないということが起きてきて、それは問題だと思っています。特にロマの方々もヨーロッパではとても抑圧されてて、差別されているんですけど、それは最悪だと思っています。それがこの映画を作ったきっかけです。恐怖によって差別が起きて、そういう差別が起こる環境がすごく嫌だなと思います。
 
矢田部PD:テレースさんにお伺いしたいのですが、このホルムスンドという町は、一般的なスウェーデンの方から見て特色などはあるのでしょうか。
 
テレース・ヘーグベリさん:ホルムスンドというは非常に小さな町で、私はホルムスンド出身ではないですが、同じくらいの大きさの近くの町で育ちました。スウェーデンは広いので、本作に描かれるようなロマの方々以外にも様々な国の方が移民として住んでいます。基本的にはそうした移民の方々にとっても暮らしやすい国だとは思うのですが、時に職探しが難しいなどの問題が起こるケースもあり、本作はそうしたスウェーデンに住む人々にとって共感を得やすい物語になっているのではないかと思っています。
 
Q:作中に出てくる校長先生の位置づけがやや分かりにくかったのですが、どのようなキャラクターだったのでしょうか。また技術的なポイントですが、本作のアスペクト比はいくつだったでしょうか。
 
テレース・ヘーグベリさん:アスペクト比は詳しく分かりませんが、おそらく1:1.85でシネマスコープです。ただ実際には上下に黒い帯を入れているので、皆様には横に長く、特殊なフィルムに見えたかもしれません。これは本作の撮影監督が非常に特殊な方で、ご自身で独自のアスペクト比を創り出して撮ったためそのようになっています。
 
監督:また校長先生のキャラクターについてですが、非常に難しい質問ですね。私個人としては彼女のキャラクターが非常に気に入っています。彼女はホルムスンドという土地と自分の生徒たちについて責任を持った立場であり、自分をいい人間だと思いたいと考えています。生徒に自分はいい人間で生徒にとってもよい先生でありたいと願っていますが、その一方で全ての人にとって望まれる存在になっていない、そうした複雑な要素を持ったキャラクターです。彼女は町の救世主のような存在でありたいと願っており、結果としてトリッキーな、解釈の難しい登場人物になったことで、非常に不思議なシーンが出来上がったように感じています。
 
↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓
 
矢田部PD:ありがとうございました。最後に1つお伺いしたいのですが、私は非常に本作のエンディングが気に入っています。このエンディングは最初から決められていたものなのか、いくつかの選択肢の中から選ばれたものなのか、どちらでしょうか。
 
監督:エンディングではヘリコプターが登場します。スウェーデン人が抱える魂に関する問題や、ホルムスンドの方々の抱える怯えのようなものに対するメタファーとして用意したシーンでした。怯えているホルムスンドの人々の心に対して、ヘリコプターがすることで変わっていくという意味が含まれています。非常に美しいシーンだと思っていますが、一方で移民の方々はその前に自分たちの美しい国を去ってしまっているという現実があります。移民であるサビーナも含め、移民や移民を受け入れる国の方々の心の動きを表現するために、最後的にエンディングを挿入しました。

オフィシャルパートナー