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2019.11.05 [インタビュー]
アジアの未来『夏の夜の騎士』公式インタビュー

当時の記憶を思い出し、子供がひとり生きていく感覚を描きました
夏の夜の騎士
夏の夜の騎士

© 2019 TIFF

東京国際映画祭公式インタビュー 2019年11月4日
ヨウ・シン(監督)
 
1997年の夏、中国の田舎町。両親が日本に出稼ぎに行ってしまった小学生のティエンティエンは、叔父といとこも一緒に暮らす、祖父母の家に預けられる。彼の目の前で祖母の自転車が盗まれたことをきっかけに、いとこと共に大人の不条理に立ち向かう。
アメリカで学び、中国で長編デビューを果たしたヨウ・シン監督の作品だ。
 
 
──この作品は、監督が小さい頃の実体験が基になっているということですが、どこまで実体験が入っているんでしょう?
ヨウ・シン監督(ヨウ監督):自分に近しいところもありながらも、客観的に描いている部分がもちろんあります。私の体験は両親の不在によって、子供がどうか、ということを描くアイデアに過ぎません。私の場合、両親が日本で仕事をしていたため、私自身も日本で2年間過ごしたということがあります。小学校に上がる前の、5~6歳の頃です。父と帰国し、そのあと母も帰ってきました。
実際に私の育った境遇や社会状況は参考程度にして、自分のストーリーをつむぎたい、そして、それを観てくださる皆さんも共感できるものにしたいと思い作りました。確かに当時の社会がどうだったとかは覚えていません。覚えているものは当時の感情ですよね。何らかの感覚的なものというのは記憶にあるので、それを投影しました。
今でも親の不在というのは顕著な社会問題ですよね。離ればなれに暮らすとかいう物理的不在だけではなくても、日中に一緒ではないから必要なときにいない、というようなことも含めて。ファンタジーの世界ではなく、子供が自分ひとりで生きないといけない、という部分に魅かれました。でも、私は両親に対して恨みを持っているわけでは全くないんですよ。むしろ非常にユニークな経験ができたので、有難いと思っているくらいなんです。
夏の夜の騎士
 
──なぜ、この時の自分を一番最初の作品の題材に選んだんでしょう。
ヨウ監督:今の自分を形作ったそのひとつというのは、自分が非常に気にかけている問題だったり、何か自分をずっととらえているものだと思うんです。自分を自分たらしめたものを映画に入れたい! というよりは、今も理解できないことや自分を惑わすことをテーマにしたら、物語を伝えるのに適している、と。
それで、自分がティエンティエンの年齢の頃に非常に不可思議だったこと、混乱していたことが、今の世界を乱している基礎となっているんじゃないかってことにも気づきました。
 
──社会格差などを描いている作家は、中国にもたくさんいらっしゃいますし、若い監督はこぞってこのテーマを取り上げています。特に影響を受けたものはありますか?
ヨウ監督:たとえば、ベルイマン監督の『ファニーとアレクサンドル』でも、父親が亡くなって母親が再婚して、という状況ですよね。本作と同じではないけれど、何かしらの理由で親が不在で必要な時にいないから自分でなんとかする、という子供の存在が描かれています。
私が目標とするのはヒューマニスト。エンタメだけではなく、人間性を模索している監督です。ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』を最近観たばかりで、何度も観なおしているんですけど、あれは本当に素晴らしいですね。
また、ハリウッドにもヒューマニストは大勢いらっしゃいますよ。ジェームズ・グレイ、ポール・トーマス・アンダーソン、コーエン兄弟、マイク・リー。日本だと、小津安二郎や黒澤明。こういった方が、世界一級のヒューマニスト監督と呼べるのではないでしょうか。
夏の夜の騎士
 
──アメリカではどれくらい生活されてたんですか?
ヨウ監督:18歳から10年過ごしました。2008年に大学留学で渡米し、その後、大学院にも3~4年通い、2年ほど仕事をしていました。今のベースは出身地の成都ですが、最近、この映画のポストプロダクションのためにLAに再び行ってました。
実は、本作を作る前にもう一作品の構想がありまして。それはLAを舞台にした作品。でも、アメリカに住んでいても結局は自分は傍観者に過ぎない、ということに気づいたんです。
 
──それでこの作品を先に仕上げた?
ヨウ監督:LAの話だと、まだアメリカの根本的な社会構造などを語るには、自分の経験では足りないと思ったんですよね。でも、中国に関してだったら、だいたいのことが理解できています。
後は、アーティストとして、これからの映画人生において自分のルーツを模索するということが根源的に一番大事だと感じました。この決断をしてよかったと思います。自分に対峙するという機会になり、とても得るものが大きかったです。
 
──撮っている間に、良い思い出も、悪い思い出も、フラッシュバックしませんでしたか?
ヨウ監督:ありましたね。そうすると気づくのが、良くも悪くも記憶がある、ということがどういうことなのかという疑問。イメージをドラマの中で投影するというのは、覚えていることを深く検証し客観的にそれを見る、ということも必要ですからね。その点、過去を検証しながら物語を作る経験をしたのは、とてもいい機会だったと思います。
この映画が自分の旅路の終わりではありませんが、旅路自体が見えてはきましたよね。ただこれは私の最初のステップにしか過ぎません。私の映画人生というのを考える上では、「ああもうこれは享受して当然のことだ」という考えを否定し続けるということが大事だと思うんです。
これはひとつやったから終わり、次に行こう、ではありませんね。自分の人生を、ひと続きの絵巻みたいに思うならば、5年後にも、もしかしたら同じテーマが浮上してくるかもしれない。でもそれがまた違うように語れるかもしれない。経験を積んでいくことで、視点が変わるんだろうと思うとワクワクします。
 
──ご自身がつむぎたい物語を撮るのが映画人としての夢です。もう夢が叶ってしまった!?
ヨウ監督:私がアメリカの映画学校で学んでいた頃、「オーソン・ウェルズは僕たちの年齢、24歳でもう『市民ケーン』を作ってたんだよね」っていう話をしてました。ジョークであるとはいえ事実ですよね(笑)。
確かに、自分は恵まれた環境にあるっていうことは自覚しています。この作品の制作初期、ゴールは遥か先にあると思っていました。撮影に行くために、プロデューサーがアメリカから中国に向かう時でさえ、荷づくりをしながらも、「これで本当に撮れるのか」と、かなり不確かな部分もありました。それが、今私はここにこうしていますよね。だからまさにこれは、シドニー・ルメット監督が本で書いたことを引用するならば、「自分で会得しなければいけないことは、自己欺瞞だ」。つまり自分で自分を信じれば、それがそれらしくなり実現化する、ということですね。そこをもっと鍛錬しなければ(笑)。
夏の夜の騎士
 
インタビュー/構成:よしひろまさみち(日本映画ペンクラブ)
 


 
第32回東京国際映画祭 アジアの未来出品作品
夏の夜の騎士
夏の夜の騎士
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監督:ヨウ・シン [尤行]
キャスト: ホァン・ルー、リン・ルーディー、ジー・リンチェン

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