戦場カメラマンを主人公にして、永遠に続くもの、途切れないものを盛り込みました
『戦場を探す旅』
東京国際映画祭公式インタビュー 2019年11月3日
オーレリアン・ヴェルネ=レルミュジオー(監督/脚本)
マリック・ジディ(俳優)
19世紀半ばのメキシコ。植民地戦争に参戦していたフランス軍に付き添って、最前線の写真を撮影していたフランス人写真家ルイは、現地の農民ピントと出会い、言葉が通じない中で友情を育んでいく。戦場の現実と、異文化の交流を描きだした人間ドラマだ。
──戦場カメラマンが最前線において、中立であるべき側面と、取れ高を気にする側面と、2つの顔を見せますね。
オーレリアン・ヴェルネ=レルミュジオー(以下、レルミュジオー監督):主人公のルイと同じく、戦場カメラマンとしてメキシコに来ていたサリバンは、ルイとは相反する存在ですね。サリバンは(戦場の犠牲者の写真を撮るために)生きている兵士に死んだふりをさせて、撮影が終わったら、笛の合図でみんな起き上がるみたいな演出をしています。
そんなサリバンのような人もいる中、ルイは捏造して撮ることがそもそも許せない人なので、妥協しないし許せないのです。また彼は息子の死というトラウマも抱えています。内面的な問題もあって、撮りたいと思ったものが撮れない悩みを持っているのです。戦場カメラマンと一言で言っても、ルイとサリバンの対照的なキャラクターがいることを描いています。
──サリバンを見ていると、ホント腹が立ちました。あのようなカメラマンは実在したんですか?
レルミュジオー監督:演出して撮影していたのは事実ですね。笛の号令でみんなが立ち上がる、というような大げさなところは、サリバンのいやらしいキャラクターをちょっと強調するための演出ですけど。実は当時のカメラの技術的な問題で、写真機の箱を置いたらじーっと待っていなくてはいけなくて、静物しか撮れなかったんですよね。動き回るものが撮れないので、人がワーッと走って戦っているというシーンは撮れない。そのため、遺体を台車に乗せて運んで、置いて撮っていたんだそうです。
今もフェイクニュースやフェイクフォトってありますけど、昔からあったものなんですよね。
──ルイを演じていて、今の世界のフェイクニュースを意識される瞬間はあったんでしょうか?
マリック・ジディ(以下、ジディ):ええ、もちろん。ルイは、写真で捏造してはいけない、ということだけではなくて、人の生命と死には適当なことはしてはいけない、という倫理観を持ち合わせた人物。彼は写真云々っていう以上に真実を追求していて、人の生き死に関わるところでいい加減なことをしちゃいけないと思っています。そこには深く共感しました。
──機材がかさばるし重いし、当時のカメラマンの苦労は相当なものですね。
ジディ:あれは15キロくらいはあったと思います(笑)。
レルミュジオー監督:役者だけではなく、あれを運ぶ馬にも大変な思いをさせてしまいました(笑)。
撮影のために当時使われていたような機材を、できる限りリアルに復元したんです。作中ではそんなに映りませんでしたけれども、現像する時の暗室代わりになるラボがあって、それも積んで持っていかなければいけなかったし、ガラス板に現像しますので、すごく割れやすくてもろい、というのも当時の苦労ですよね。
。
──乾板式の写真機材はほぼ存在しない今、どうやって再現を?
レルミュジオー監督:写真マニアの中で、敢えて昔ながらのものを自分で作って使ってるっていう人たちがいるんですよ。フランスには3人いて、コロンビアにもひとり。こういう人たちが、どういうふうに使ってるのかって見せてくれたり、再現するのも手伝ってくれました。当時の機材は、撮影だけでなく、現像するってところまでも含まれるのですが、現状では完璧にオリジナルの方法で、そのプロセスをこなせるわけではないんです。
たとえば、当時の現像液は今もう見つからなかったり、そもそも現像のプロセス自体も今とは全く違っていて特殊。だから、よっぽど写真好きでマニアの人でないと、なかなかやらないんですよね。主にそういう方々は、風景画とかポートレイトに今でも使ってるそうです。その一方で、写真関係の歴史家の人にも会い、史料で調査しましたが、歴史書での知識だけだと限りがありました。実際に使っている人たちへのリサーチがなければ、ルイにリアリティは与えられなかったですね。
ちなみにあの当時の機材だと、設置するのも撮影も、また現像も全てのプロセスに時間がかかるんです。そのため、一日最大8~10枚くらいしか撮影ができなかったそうですよ。
──当時の戦場のリサーチに関してはどうされました?
レルミュジオー監督:ジャン=シャルル・ラングロワ(1789~1870)という方に関する本を頼りました。彼は、元々フランスの戦争画家だったんですが、カメラが発明されたことで戦争カメラマンに転じて、実際にクリミア戦争に行ったこともある人です。彼に関する本は、彼が戦地から妻に書いていた書簡をもとにしたもので、とても面白いから読むのをお薦めします。
これを読んでみると、彼が遠く離れた場所でいかに苦労したかとか、機材の使い方でちょっとまだ定かでないから、妻に「これを試してほしい、聞いてきてほしい」と、遠隔で調査を依頼していたり。いかに母国を離れたところで発明されたばかりのものを使うのが大変だったかが分かりました。
あと、アメリカ人の戦場カメラマンで、ティモシー・オサリバンとマシュー・ブレイディという南北戦争に参加していた人たちが撮った写真を見て、当時はどういったものを撮っていたか、かなり参考にしています。また、本作は戦場写真に関する映画ということである以前に、友情やリレーションシップに関する映画でもあります。
人が亡くなって何かが継承されますよね。写真だと、写真として後世にも形が残り永遠になります。永遠に続くもの、何か途切れないもの、などなど、本作に盛り込んださまざまなテーマを結びつけるために使ったモチーフが写真なのです。
──結びつけるという意味では、今回キャストもスタッフも多国籍ですよね。映画で描かれているリレーションシップと、現場でのリレーションシップがシンクロした瞬間はありましたか?
ジディ:本作にはコロンビア人のスタッフが多く関わっているんですけど、彼らとは非常にいい関係を結ぶことができたので、それを感じる瞬間はありました。セッティングや衣装、なんでも緻密に作業してくれていて、フランスでは見られないような職人仕事でしたね。皆さん、全身全霊ですべてを捧げてくれてやってくれました。
レルミュジオー監督:この映画のタイトルVers La Bataille(『戦場を探す旅』)を象徴するかのように、毎日が戦いの現場でした。スタッフはコロンビア人、アメリカ人、フランス人、コスタリカ人、メキシコ人と、本当にマルチナショナルだったんですが、みんないい映画が作りたいという思いで、同じ方向に向かってすべてを捧げてくれていたので、愛情のようなものがみんなのなかにできてきたんですよ。
ルイが自分の内面をひたすらに追い求めているように、スタッフたちも良い映画を作りたいというひとつの方向に向かっていました。多種多様な文化を持つ人たちが一丸となったことで生まれた作品だと思っています。
インタビュー/構成:よしひろまさみち(日本映画ペンクラブ)