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2019.11.05 [インタビュー]
アジアの未来『死神の来ない村』公式インタビュー

子供も段々年を取って老人になんり、また子供に戻っていく。人生のサークルを描きました
死神の来ない村
死神の来ない村

© 2019 TIFF

東京国際映画祭公式インタビュー 2019年11月4日
レザ・ジャマリ(監督/脚本/プロデューサー)
 
45年もの間、誰も死んでいない村はいまや老人ばかり。そこに住む100歳のアスランは、「この村は死神から忘れられている」と仲間と語り合い、死ぬ方法はもはや自殺しかないと思い詰めるが……。
数々の短編で腕を磨いてきたレザ・ジャマリ監督の長編デビュー作は、山間に住む不死の老人たちを、スピリチュアルな雰囲気と、ちょっぴりユーモラスに描いた大人の寓話。人々の日常を静かに見守る、たゆたうようなストーリーテイリングといい、美しく荘厳な風景描写といい、イランの名匠アッバス・キアロスタミ監督の作風を彷彿とさせる。
 
──45年間誰も死なない“死神の来ない村”というアイデアは、いつどんなきっかけで思いついたのですか?
レザ・ジャマリ監督(以下、ジャマリ監督):10年ほど前に、地方の結婚式をテーマにした短編を撮ろうとある村を訪れました。その時、結婚式に参加していたおじいさんに、「踊ってみて」とお願いしたら、「これから死ぬのに、なんで踊らなきゃいけないんだ」と言われて。私はその時、「この村に死神が来なかったら、おじいさんも踊ってくれるのになぁ」と思ったのです。
そんな思いがずっと心に残っていて3年ほど経った時に、短編“Never Do To The old Men Die” (死神の来ない村)を撮ったのですが、それがイランの国内で評価されて、長編にすることを勧められたわけです。
 
──「45年」という数字の意味は?
ジャマリ監督:短編の時は50年にしていたのですが、ちょっと長いから短くしようと思って。でも40年にするとアスランが体験したイラン革命(1978-1979)前にならないなと思い、間をとって45年にしました。実は、短編を撮った後に20年間、誰も死なない村が実際にあるというニュースが流れたりして、それを聞いて長編を作ろうと決心しました。
 
──村人がひとりでも死ねば、死神が戻ってくると信じる老人たちは、重病人の家の前で死ぬのを待っている。しかし、病状が回復したことを知ると舌打ちをしたりする。
そんなシリアスだけどクスッと笑ってしまうエピソードが散りばめられています。脚本はどのように書き進めましたか?

ジャマリ監督:最初から暗い話になることはわかっていましたから、あえてそういう笑いの要素を足した方がいいと思いました。
レザ・ジャマリ
 
──自殺願望のある老人たちの物語に軽みを入れたかった?
ジャマリ監督:そうです。本質はとてもシリアスな話ですから。最初は、カメラは固定でセリフ劇のようにしようかなとも考えたのですが、それでは退屈すぎて、観客が最後まで見てくれないのではと思い、なるべく軽いタッチを意識してみました。
 
──アスランを演じたナデル・マーディル以外はすべて素人。面白いエピソードがたくさんありそうですね。
ジャマリ監督:私は地方を舞台にした短編をたくさん撮ってきたので、素人の方を演出するコツはわかっていました。しかし、今回は長い時間、一緒に作業を進めなければいけないので、最初は仲良く友達のようになりました。彼らは僕を監督だなんて思わず、息子の友人、まぁ、小僧っ子扱いでした(笑)。
私も彼らに指示を出すというより、アスラン役のナデルだけには「こんな場面」と説明をしておいて、あとは好き勝手にやってもらいました。あまり注文が多いと、素人の方は飽きてしまい、「つまんない」と言って帰ってしまいますからね(笑)。まずは、そうならないように気をつけていました。
レザ・ジャマリ
 
──大変だったのは?
ジャマリ監督:温泉のシーンの時は、ちょっとドキッとしました。なにしろ高齢の方たちですから。湯船に潜らせるシーンでは、ひとりがのぼせてしまって、心臓がドキドキして痛くなってしまったのです。そこで、「撮影をやめますか?」と聞いたら、「少し休んでからやります。自分のために撮影ができなかったら、申し訳ない」と言ってくれて。彼ら自身も映画に出演していることを楽しんでくれていました。
私としては、現場で少しずつ教えながら撮影を進めて。彼らは、まるで宿題をやって次の日、学校に来る子供たちのように、撮影現場にとても楽しげに毎日通ってきてくれました。
 
──彼らにとって長く生きてきた老人の苦悩は、身近なもの。どう感じていたでしょうか?
ジャマリ監督:彼らはこのテーマ自体が好きで、とても協力的でした。私は子供の頃からおじいさんが大好きでした。老人たちは私の宝、国の宝です。ですから、撮影中も彼らの言葉をアドバイスとして大切にしてきました。少年とおじいさんが踊るというシーンがありますよね。あそこには、子供がだんだん年をとって老人になり、また子供に戻っていく、そして人生は続いていく。
あの少年もいずれ年を取り、老人と同じようになるという人生のサークルを描きたかったのです。人生には悲しみと喜びのコントラストがあるから、私たちは生きていけるのだと思います。彼らも「若い時は結婚したかった」とか「誰かに恋したかった」とか話をしているし、そのそばには元気な少年も出てくる。そういう喜びを入れながら、暗い話を語っていくこと。そのコントラストが人生そのものだとしたかったんです。
 
──みなさん素人とは思えない含蓄のある演技を披露してくれました。
ジャマリ監督:彼らには大感謝すると同時に、謝らなくてはなりません。なにしろ、温泉に潜らせたり険しい山道を歩かせたりして、かなり無理をしていただきましたから。
 
──キャスティングは、どのように?
ジャマリ監督:実はキャスティングが一番大変で、3年かかっています。舞台となったアゼルバイジャンは村と村の間で、同じトルコ語でも発音が変わってしまい、ちょっと南に行くと違うアクセントで喋っている。ですから、同じアクセントで話す人を揃えるのがひと苦労。しかも、言葉が話せても演技ができないとか。言葉がすごい足かせになりました。
さらに、3年かけてキャスティングをしていざ撮影となったら、なにしろお年寄りですから、その間に具合が悪くなって参加できない人もいて。また新たに人を探したり。それから、もっと怖かったのは、スタッフからも、「影中で死んだらどうするんですか?」と言われたことがあって。そうなったら映画は撮れませんし、まず彼らに何かあったら監督である私の全責任ですから。いま思えば現場での私は、監督の仕事は半分、後の半分は出演者の体のケアを半分担当していたと思います。
 
──生と死を扱う寓話にふさわしい、アゼルバイジャンの神秘的な雰囲気と霧深い風景に魅せられました。
ジャマリ監督:最初にアスランが空を見ているシーンは、神に死ぬ許可をもらいたいんだけど、許してもらえないで生き続けている。だから、神の目の届くところ、神に一番近いところで、神と交信しているんです。そういうスピリチュアルなシーンにアゼルバイジャンはぴったりだったのです。そして霧はもっとも重要なファクターでした。
イランという国の上にはカスピ海があって、海から山々に霧が昇ってくる。もともと霧の美しい場所としても有名な場所です。三脚ですら立てるのが難しいような、とても険しい山を登ったり降りたりして、スタッフにも出演者にも苦労を強いましたが、その苦労の甲斐はあったと自負しています。
 
──アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』(87)が日本で初めて公開されたイラン映画。それから32年経ったいまでは、本映画祭でもジャマリ監督をはじめ、『50人の宣誓』モーセン・タナバンデ監督や、『ジャスト6.5』のサイード・ルスタイ監督など新しい才能がお披露目されて、イラン映画界の熱が伝わってきます。その中で今後、何をしていきたいですか?
ジャマリ監督:まず、私はキアロスタミ監督の大ファンで、『友だちのうちはどこ?』を何回も見返しています。見るたびに新しい発見があって、多くのことを学んでいます。確かに、いまイラン映画の若い監督たちは素晴らしく、とても力のある作品を作っています。映画の方向性はそれぞれありますが、若い監督たちが巨匠たちのいい弟子として、新しいイラン映画をどんどん世界に紹介できると思います。
そして私も、キアロスタミ監督のテイストを継承できていったらいいと思っています。現在、長編2作目を取り終わったばかりなんです。今度はとても年をとった映画監督の話で、撮っても撮っても映画が完成しない、というお話。“死神が来ない”次は、どうしても“映画が撮れない”話なんです(笑)。
 
インタビュー/構成:金子裕子(日本映画ペンクラブ)
 


 
第32回東京国際映画祭 アジアの未来出品作品
死神の来ない村
死神の来ない村
©Persia Film Distribution

監督:レザ・ジャマリ
キャスト: ナデル・マーディル、ハムドッラ・サルミ、サルマン・アッバシ

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