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2019.10.30 [イベントレポート]
「音楽はとても重要なものだと思う」10/29(火):Q&A コンペティション『マニャニータ』

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©2019 TIFF

 
10/29(火)コンペティション作品『マニャニータ』上映後、ポール・ソリアーノ監督(監督/エクゼクティブ・プロデューサー/プロデューサー・右)、ベラ・パディーリャさん(女優・左)をお迎えし、Q&Aが行われました。
作品詳細
 
ベラ・パディーリャ(女優):矢田部さんそして、監督にもありがとうとお礼申し上げたいです。今晩、皆様と一緒にこのように映画を見ることができたことに非常に幸せで光栄でございました。ありがとうございます。
 
ポール・ソリアーノ監督(以下・監督):改めて矢田部さん、本当にありがとうございます。また映画祭の関係者の皆様にもお礼を申し上げます。今回大好きな日本にまた来ることができ、そして三年ぶりに映画祭にも参加することができ本当に嬉しく思っております。今回、ワールド・プレミアをコンペティション部門でやることができ、非常に嬉しく思っております。
 
矢田部PD(司会):ありがとうございます。ちょっと私から基本的な質問をお伺いしたいんですけれども、まず、ポールさん今まで色んなタイプの作品を作っていらっしゃいますけれども、この映画の成り立ちについて教えていただけますか。
 
ポール・ソリアーノ:実はですね、少し前にディアス監督の『痛ましき謎への子守唄』を私がプロデュースをしたという経験もあって、それから彼が先生になって私が、学ぶといったような関係をずっと続けております。あのようなスタイルや雰囲気が非常に好きで、だからこそ映画のプロデュースもやったのですが、トランセンデンタルな映画ということで、日本ですと例えば、御厨監督がそういった物語性に富んだ映画を作っていた方と思っております。今徐々に、私自身そういったやり方、流儀に自分自身が入れるようになってきたと感じていて、映画作りを初めて13年間フィルムメーカーとして、自分自身のスタイルをこのようなものとして確立できつつあると感じています。
 
矢田部PD:ありがとうございます。そして、ベラさん。この作品にどのように出会われて出演するようになったかを教えていただけますか。
 
ベラ・パディーリャ:矢田部さんに昨日レッドカーペットで会った時に、全然映画と違うんですねという風に言われたのを覚えています。本当にお褒めの言葉をどうもありがとうございます。マニャニータは確かに身体的な所での特徴があると思うのですが、役者にとっての私が感じたのはそれ以上のものです。エディルベルタは実は、非常に多くの悪霊と戦っています。それはなかなか彼女自身、表に表せるものではないのですが、そこがこの映画のポイントです。私はどちらかというと、恋愛ものであったり、かなり王道の主流タイプのものに出ているので、このような実験的な映画の出演をオファーされたのは初めてで、それに“yes”と言って本当に良かったと思っています。エディルベルタが色々な旅を、歩みを経験していくのですが、映画の中での彼女の歩みと、私ベラが女優として歩んだ道筋は実は重なるところがあると思いました。この映画の撮影は最初のシーンから最後のシーンまで順番通りに撮影していったので、まさに彼女の心情を私自身も覚えることがありました。ポール監督やマニャニータのチームの皆さんの力もあって、支えもあってライフルの特訓スナイパーとしてどうかまえるかといったようなところも準備をした上で、非常に満足のいく出来になりました。
 
Q: この映画は常に音楽とともにあったと思うのですが、選曲は監督がされたと思います。
選曲についてなんですけど、幅広いといいますか、数ある選択肢の中からはめていったのか、それとも監督が一曲一曲に強いこだわりを持ち、決めていったのか、もしくはフィリピンの有名どころといいますか、オーソドックスな楽曲で埋めていったのか、お聞きしたいです。

 
矢田部PD:もしかしたら、映画のために作ったかもしれないですよね。
 
監督:選曲については、かなり苦心をして、考えたうえでやりました。実際に警察が歌っていた曲でもあったのでフレディー・アギラのマグダレーナを参考にし、かなりその時代の音楽や、特に歌詞を私も研究をしました。またオリジナルの音楽もありまして、これはラヴ・ディアスが詞をつけてくれたんですが、彼が実際、歌ってもくれていて、ちょうど脚本でいろいろ話をしているときに、その場で歌詞を作ってくれないかって言ったら、その場で応じてくれて、しかもその場で録音をしてくれて。それを、そのときに録ったものを実際に映画でも使っています。ラヴに私からお願いをしたのは、父が娘にどのような思いを抱いていたであろうか、それを音楽にしてほしいといって出来たものです。
 
Q: ラヴさんが曲も作って実際に歌っているんですよねっていうのをお伺いしたかったのと、フィリピンで映画の公開のプランがあるのかを知りたいです。
 
監督:正確に言うと、ラヴさんが書いた曲は一つで、それは最後の、彼女が涙を流しているシーンと、ベッドで横たわっているシーンで使われている音楽です。フィリピンの映画館では12月4日の公開になります。
 
Q:クライマックスの警察のコーラスにびっくりしました。実際に警察がコーラスをするっていうのは、もともとフィリピンにも風土的にそういうものがあるんでしょうか。その辺をちょっとお尋ねしたいです。
 
監督:確かにフィリピンは、フィリピン人はみんな音楽が大好きです。もう文化の一部、アイデンティティーの一部だと思います。みんな歌うことが大好きで、歌が下手な人でもすごく歌うのが好きっていうところです。音楽はとても重要なものだと思っています。警察が歌を使うようになった理由としては、いわゆる麻薬戦争が行われています。
このダバオでは、警察官たちが上の責任者の言うことにも従わないといけない、大統領の命令にも従わないといけない、それでも暴力を使うことはどうしてもしたくない、抗いたいということで、ならば署長が歌ってはどうかという発案をしたそうです。
そこから、歌うこと、そして歌詞の力で人々の魂に触れるという行為をしてみたところ、毎回ではないにしても、平和を願うその歌詞の気持ちが、結果をもたらすということもあって、何千人もの人が自首をしたそうです。
この歌うことを奨励していた警察の署長さんに私も話を伺ったところ、「何で歌を歌うことにしたのですか?」って聞いたら、「クスリを使ってハイになっていると、その時ほど音楽って気持ちよく聴こえるんだよね」なんていうふうに言っていました。
だから当然じゃないかっていうような口ぶりで、でも実際に歌を歌って聴かせると、涙を流して、そういう麻薬の売人、あるいはユーザーたちが出てきて、自首をしたそうです。
 
矢田部PD:なんという話でしょうね。ありがとうございます。
 
Q:ラヴ・ディアス監督は、自作映画を撮るときに、事前にちゃんとした脚本を用意せず、当日にその日の分の脚本を俳優に渡したりしているそうなのですが、今回はどういう形で脚本に参加されたんでしょうか。
 
監督:おっしゃるとおりです。
何度か打ち合わせを、私のほうからこういうコンセプト、ストーリーでやりたいんだということをお伝えしたうえで、メールでのやり取りをしました。そのあと1~2か月後に彼から8ページの台本が来て、「じゃあ、あとは君に任せた」と言われて。そこに私のビジョンに合わせて、解釈を加えたりだとか、場面も追加しました。あとは少しセリフをいじったりはしたのですが、基本的には8ページで来たその台本をベースにしています。
 
ベラ・パディーリャ:こんなに短い脚本は初めてでした。
 
矢田部PD:ベラさんは撮影しながら自分がどうなってくかっていうのを日々知っていくっていう感じだったのですか?
 
ベラ・パディーリャ:確かにとっても短い脚本だったので、その日何が起きるのかは当日になってみないと分からないということもたくさんあったんですが、ポール監督もやっぱり作品の全体像は、とても頭の中にあって、何を目指しているかっていうところは最初に教えてくれたので、方向性としては理解できていたと思います。
あとは撮影中に、例えば、ここはこのフレームの中で、ここまでしか動いてはいけないっていう非常に明確な指示をもらうこともありましたし、逆にエディルベルタだったら、どうしているのか、ちょっと考えながら自分で演じてみてとに言われたりもしました。役者としては、ちょうど演出的な指導と、自由にできる部分のバランスが良く、とてもありがたかったです。あとは何も指示も受けずに、ただずっと歩いていなさいっていうふうに言われることもあって、ものすごい体重が落ちました。ただ同時に、ビールをたくさん飲んで、その分、体重が増えたっていうのもあったので、どっこいどっこいというところでした。
 
矢田部PD:ありがとうございます。
 
Q:この映画はもっと短くできて、物語の核心へもっと早い段階で進めて、大筋・主旨は守り通せたのではないかなとも思うのですが、その点についてお聞かせいただきたいです。
 
監督:実は、どれぐらいの長さになるか分からなかったんですね。長さが決まったのも、ポスプロに入ってからなのですが、とにかく、この主人公を中心に描きたかった。彼女は本当につらい思いを抱えていて、また、なかなか許すことができないという思いを抱いています。そういうものというのは、やはり瞬時には起きない、彼女が求めている答えや解決策っていうのもなかなか見えていないということで、やはりエディルベルタの気持ちを皆様に伝えるためにも時間が必要だと思いました。彼女の傷が癒えるのに、20年以上かかったわけで、映画そのものを20年に及ぶ映画には当然しませんが、やっぱりそこはバランスを考えてトランスデンタル映画の手法である時間の使い方っていうのを自分なりに学んで、このように作ってみました。やっぱり王道のシネマではないと思うんですね。私が思うに、一つの旅路や歩み、もしくは瞑想的なところを持っているのかもしれません。
いずれにしても、うれしいお言葉を頂きましてありがとうございます。

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