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2019.11.06 [イベントレポート]
「大島渚監督は手塚治の漫画があまり好きではなかったそうです。」11/4(月・祝):Q&A『ばるぼら』

ばるぼら

©2019 TIFF 11/3の記者会見に登壇した手塚 眞監督

 
11/4(月・祝)コンペティション『ばるぼら』の上映後、Q&Aが行われ、手塚 眞監督が登壇しました。
⇒作品詳細
 
矢田部吉彦PD(以下:矢田部PD):なんとも形容のしがたい不思議で刺激的な作品でまたコンペにお越しくださいまして本当に光栄に思っております。まずは皆様にご挨拶の言葉をいただけますか。
 
手塚 眞監督(以下:監督):まずは東京国際映画祭に参加させていただき、大変光栄に感じています。この作品をコンペティションに選んでくださった矢田部さん、映画祭スタッフに本当に感謝しています。そして皆さん、『ばるぼら』を観ていただいて、本当にありがとうございます。観終わってすぐに感想が出る作品ではないと思います。咀嚼するのに時間がかかる作品ではないかと思っています。もしかしたら、非常にわかりにくいと思われた方もいるかもしれませんし、理解しにくい場面もあったかもしれません。しかし映画というのは時として理解をすることよりも心で感じることが大事であることもあります。この作品がみなさんの心に何か残すことができたのなら幸いです。ありがとうございます。
 
矢田部PD:作品の誕生のいきさつからお聞きしたいと思います。かなり長い年月をかけた企画であったということですが、そのあたりを教えていただけますか。
 
監督:この作品、いつ知ったかというと、当然父親である手塚治が連載していたその当時に読みました。その時は10歳くらいでしたから、本当は読んではいけない本だったのです。もちろん子供の心にはまったく理解できない部分もいろいろありましたけども、ただその理解ができないところも含めて、非常に魅力を持った作品だということで印象に残りました。ところで私が映画監督になったのはまだ父親が生きていた時代です。その時には父親の原作を映画にすることなんて全く夢にも思いませんでした。ですが、思ったよりも早く父親が亡くなってしまいまして、その仕事を引き継ぐような部分も自分の人生のなかに出てきたわけです。いつかタイミングが合えば、父親の原作で映画を作ってみようと思うようになりました。そしてどの作品を映画にするのがいいのかと考えているなかで、この「ばるぼら」を思い出したわけです。そろそろこれを作る時が来たなと思いましたので、6年前にこれを企画しました。
 
矢田部PD:手塚治先生は、手塚さんが映画監督になりたいとおっしゃったときにどのような反応だったのでしょうか、また「何か自分の作品を映画化するの?」というような会話が交わされることはあったのでしょうか。
 
監督:私のキャリアについて少しお話します。初めて映画を作ったのは、学生映画ですけども17歳のときでした。その初めて作った映画を高校生の映画コンクールに出しました。そこで突然に特別賞、第2位という賞をいただいたのです。審査員は大島渚監督でした。その話を父親にしましたら、父親は、文字通り漫画のように飛び上がって喜んでくれたんです。「よくやった」と言って、抱きしめてくれました。それ以来ずっと応援をしてくれていたのです。ただそのあとに少しだけ心配になったのか、この業界は大変厳しい業界で簡単にはいかないから心してやるんだぞと、それだけ忠告してくれました。
最初の賞の授賞式の時に、初めて大島渚監督にお会いしました。初めて巨匠にお会いして、大変緊張して何を話していいかわからなかったので、とりあえず「父親も大変喜びました」と答えました。そしたら大島監督はすごくびっくりしたんです。「え、君のお父さんて誰なんですか」と。監督は存じ挙げなかったのです。もちろん高校生でしたからね。しかも後から知ったのですが、大島渚監督は手塚治の漫画があまり好きではなかったそうです。これが自分のキャリアのスタートです。
 
Q:音楽について、映画のどの段階でこういう音楽・発注・演奏にしようと決めたのでしょうか。
 
監督:質問ありがとうございます。音楽を担当されているのは橋本一子さんといって、実は長年私の映画の音楽を担当していただいているジャズピアニストの方です。今回の企画を思いついたときに、きっと彼女の音楽が合うに違いないと思って、まず彼女に(音楽を任せることを)決めました。どういうスタイルの音楽にしようかというときに、これも突然思いついたことなのですが、少し古い60年代のジャズの音楽が良いのではないかと考えました。そして、まさに橋本さんはその時代の音楽が非常に得意な方なんです。彼女とは何度も一緒に仕事をしているので演出のこともわかっていますから、細かい打ち合わせはせず全部任せてしまいました。そして彼女が作曲をした後に、ミュージシャンを集めて録音をする段階で一緒に参加しました。その段階では、まだ映像はほとんど見せていません。僕が直接作曲の方やミュージシャンの方にこれはどういう場面のどういう雰囲気の音楽か説明しながら演奏して、それを録音しました。そして、今度は出来上がった音楽に合わせてもう一度全部編集をし直し、音楽がとても印象的になるように作っています。
 
矢田部PD:原作は70年代の設定なのですが、映画は現代に置き換えたということなのですが、音楽は60年代・70年代のエッセンスが入ったジャズを使用することによって原作のエッセンスを残そうという思いもおありだったんでしょうか。
 
監督:はい。おっしゃるとおりです。
 
Q:出演者の皆さんは撮影に入る前に原作は読まれたのでしょうか。
 
監督:当然、出演者の方々には手塚治虫原作のこの作品を映画化します、ということで脚本は送っています。その段階で、彼らは原作を読んだかどうかは僕にはわかりません。特に読んでくれ、とは言いませんでした。そして、原作の場面について、撮影の合間にディスカッションすることも特にありませんでした。ただ、恐らく彼らはちゃんと(原作を)読んで役作りをして臨んだと思います。そして、恐らく彼らは原作に対して敬意を持っていたと思います。ですから、時として、非常に現実的ではない場面がありますが、何の疑問も感じずにこちらの指示通りやってくださいました。ですから、出演者とは撮影の合間に意見を交換するというのはほとんどなく、撮影は進みました。ご覧になった通り、非常にセクシュアルでセンシティブな表現が多くあるのですが、それらに関しては彼らは疑問を全く感じずに躊躇もなく、ただ僕が「よーい!スタート!」と言えばそれをやってくれました。ただそれは、日本の俳優では非常に稀なことだと思います。彼らが僕やクリストファー・ドイル(撮影監督)を信頼してくれていたのか、それとも元の物語に対する大きな敬意があったのではないかと思います。質問ありがとうございます。
 
矢田部PD:補足の質問をしてもよろしいでしょうか。ばるぼらを演じた二階堂ふみさん、そして稲垣吾郎さん。それぞれの役者さんのこの作品またはほかの作品を通して手塚監督から見てお二人はどのような特徴を持った役者さんでしょうか。それぞれにコメントをいただけますか。
 
監督:まず、稲垣さんはそれまでに何度も映画に出演されていますけれど、彼の役の大体は見てきました。ですから、僕は彼の演技に非常に興味を持っていまして、いつか彼と仕事がしたいとずっと感じていました。彼はいろいろな役をやっているんですけれども、どこか気品みたいなものを感じさせる俳優だと思いました。そして、今回の『ばるぼら』の“美倉洋介”という役はぴったりだと思いました。非常にインテリジェンスを感じられるし、ルックスも美しいです。そこで、彼にこっそりと脚本を送ったのですが、そのうちやりますという返事が来たのでホッとしました。特に、彼の方では躊躇なくこの作品を選んでくれたそうです。ですから、これは言い過ぎかもしれませんが、出会う前から気が合っていたのではないかと思っています。衣装合わせをしたときに、2時間ほど彼と2人きりで話をしたんですけれども、それはそんなに役に付いてというよりもまあ雑談だったんですが、でも彼はその2時間がとてもよかったらしくてもうこれで監督のことは信用しましたと言いました。とても聡明な人だと思います。
 
そして二階堂ふみさんも同じくらい聡明な方です。彼女は映画を観るたびに全く自分を作り変えてしまうようなそんな能力を持っています。本当に女優らしいというふうに感じますけれども、時として女優というより巫女のように感じることもあります。そういうところも“ばるぼら”にぴったりだと、実際撮影をする前から“ばるぼら”だと思っていました。ですから彼女の“ばるぼら”になったらいいというふうに思っていましたので、こちらで逆に“ばるぼら”というのはこういう人間で、こうしてほしいということは一切言わなかったんです。すべて彼女が自分で考えて自分でやるようにやってもらっただけです。映画のクライマックスが非常に過酷な撮影になると思いましたので、これは場合によっては代役の人にやってもらったり、あるいは、極端に言うと人形を作りましょうかというふうに提案したんです。そしたら彼女は、「いや、絶対それは全部自分でやりきる」と、「そんな代役とか使ってほしくない」というふうに言い切ったんです。そして撮影の時もずっと耐えてその役を演じていました。すごい女優魂だと思いました。今日2回目をご覧になっている方、2回目ですね今の話は。
 
Q:監督と、ドイルさんとのコラボレーションに関しましてちょっとお話を伺いたいと思います。
 
監督:ドイルさんを選んだ時点で、恐らくこれはただ撮影をしてもらうのではなくて、彼自身のアイデアも取り入れたほうがいいのではと思いました。ですから最初からこれはドイルさんと自分が考える映像のコラボレーションにしようと考えていたわけです。最初の打ち合わせの時にドイルさんは、お渡しした脚本にものすごくたくさんメモを挟んで、それを持ってきました。恐らく最初の脚本の5倍くらいの厚さになっていたと思います。ものすごくたくさんのアイデアを彼は考えて来ていたんです。ただ彼の素晴らしいところはそのアイデアを説明はしてくれるんですけど、必ずその後に、「でもこれはやらなくてもいいよ。最終的には監督である君が選んでくれればいいんだ」と、そういうふうに言いました。そして撮影の時は必ずその撮影現場に来ると僕のところに来て、「さあ、今日の撮影はどうする?何をどういうふうに撮るんだい?」というふうに聞いてくれました。そして僕の頭で明確に演出が決まっているときにはそれを伝えると、「分かった」と言ってそれをちゃんと綺麗に撮ってくれました。例えば一番最初に“美倉”と“ばるぼら”が出会う地下室のところがあるんですけど、あそこは僕は明確なイメージを持っていて、こういうふうに撮りたいんですと言ったら、本当に僕の頭の中を完璧に再現してくれたわけです。色や光の方向とかも完璧でした。また逆に僕のほうから「今日はクリス、あなたの好きに演出していいと、今日の『ばるぼら』はあなたに預けるから一日中好きに撮ってください」と頼んだ日もあります。それは例えば“ばるぼら”が歌舞伎町という街の中を散歩している、彷徨っている、そいういう場面がありますけどもそれなんかがそうです。撮影をしているときに急に雨が降ってきてしまったので普通はそこで撮影は中止にするわけですけど、その時にドイルさんは「傘を持ってきてくれ」と、「傘をさして彼女を歩かせてもいいじゃないか」と言ってそれを撮ってくれたんです。その時にドイルさんはスタッフに「オレンジ色の傘にしてくれ」と、「絶対オレンジ色じゃなきゃダメだ」と言って、オレンジ色の傘を買って来させました。その映像の中では大変それが効果的でした。ですから、おおむね彼との仕事はうまくいっていたかと思います。質問ありがとうございます。
 
Q:手塚治虫さんと手塚眞さんは大島渚さんの映画は好きなんでしょうか。
 
監督:僕はたいへん好きです。彼の古い作品も好きですし、晩年の作品もすべて素晴らしいと思っています。父親がどう思っていたかはちょっと聞いたことがないのでわかりません。ただヒントになるかどうかはわかりませんけれども、手塚治虫はゴダールの映画は嫌いだと言っていました。非常に理屈っぽくてアバンギャルドなものはあまり好きではなかったみたいです。ですから大島さんの映画が好きかどうかはもし生きていても聞けなかったかもしれません。もちろんその二人は喧嘩をしてきたわけではありませんし、出会えばとても仲良くお話をしていました。大島監督がうちの父親に「あなたの息子さんの映画、とてもいいですね」というふうに言ったんです。そしてうちの父親はちょっと恥ずかしかったんだと思うんですけど、「あいつは俺のお小遣いを使ってそんなことばかりやっているんですよ」というふうに言い訳的に言ったらしいです。そしたら大島さんは、「息子さんの映画は素晴らしいんだから、もっとお小遣いをあげてください」というふうに言ったそうです。そんな関係です。ありがとうございます。
 
矢田部PD:最後に素晴らしい質問をありがとうございました。それでは今度こそ本当に締めのお時間ということで、最後に改めまして手塚監督から一言お言葉を頂戴出来たらと思います。
 
監督:これを作っているときには、こんなにたくさんの皆さんの前でこんなに華やかにお披露目を出来るなんて思ってもいませんでした。私が作る映画というのはいつもちょっと変わった映画が多いものですから。多くの人に受け入れられるかどうかは今でもちょっと心配ですけれども。しかし出来上がった映画を育てているのも観客の皆さんです。是非ともこの『ばるぼら』という映画、変わった映画ですけれども、皆さんの力で育てていってください。今日は遅い時間まで観ていただき本当にありがとうございました。

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