11/2(土)アジアの未来『50人の宣誓』上映後、モーセン・タナバンデ監督をお迎えし、Q&Aが行われました。
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Q:宣誓の制度は実際に利用する人はいるのでしょうか。
モーセン・タナバンデ監督(以下、監督):まず、英題タイトルの『The Oath』は、本当はアラビア語なんです。アラビア語ではGhasamというのですけれど、Ghasamは宣誓の複数形です。(映画で使われているのはペルシア語ですが)アラビア語から来ている言葉なんです。
主に殺人のときに宣誓をやる方はいます。殺人ではない場合、手とか脚とか体のある部分を切られた(切断された)ときは、(宣誓する人数は)50人ではなくて、25人になるんですね。また、体のどこかが不自由になった場合は、さらにその人数が減ってしまいます。
実際に宣誓をやる件数は、はっきりは言えませんが、大体は年間で30件くらいがあります。そのときは絶対に50人の男が宣誓しないといけなくて、それも血縁の近い親戚の男でないといけないんです。
Q:バスの中でみんなが一斉にしゃべりだす演出がありましたが、あれは全部シナリオが決まっていたのでしょうか?それぞれのキャラクターになりきって、一斉にアドリブでしゃべっていたのでしょうか?
監督:まずその前に、男性と女性も含めて50人がバスの中にいますが、運転手と主役の女性以外の人たちはみんな素人なんですね。その人たちを集めるのが一番大変でした。なぜなら、一つの親戚を作らなければいけないので、おじさんだったりいとこだったりがなんとなく似ていなければいけません。それは大変でした。
そして、素人を扱う場合は脚本のセリフを言わせるのは難しいので、状況状況で演出をするときにセリフを言う人を決めて、言ってもらってたんです。
脚本は決めていたので書いてあるわけですけれど、大体このセリフはこの方に言ってもらいたいと、位置を決めて(バスの座席に)座らせたんですね。ですから、何でもいいから話してくださいとか、どこでもいいから座ってくださいというわけではないんです。一人一人を演出しました。
Q:宣誓というのは何を宣誓するのでしょうか。この映画でしたら、彼が日頃の言動からして犯人でしょうと宣誓をするんでしょうか?
監督:その殺人を実際に自分の目で見ていないので、宣誓をするけれども証人ではないんです。ですから、聞いたところとかを想像して、この人がもしかしたら殺人をしたんじゃないかと宣誓をします。
殺人は起きて裁判となったとき、実際は証明はできない、証拠がないとなったら、裁判官も判断できないので、保留のままになってしまいます。その場合に、家族は50人の親戚を集めて、50人が「彼が殺人を行った」と宣誓しなければならないんです。
50人の親戚が集まらなかった場合、例えば10人しか集まらなかった場合は、(一人が)5回宣誓をするということです。これは自分的には笑えるんじゃないかと思うんですけれど、実際は行われています。
司会:石坂PD:そうですね。映画の中でも、何度も宣誓するというセリフがありました。
Q:宣誓という制度に対して批判的な意味を込めて作られたのでしょうか?
監督:自分としてはこのシステムに疑問を持っていて、自分の中にあるその問題を映画にすることでみんなとシェアして、この疑問を少しでも解くことができればと思って作ったんです。
Q:50人の宣誓は長い歴史があるんでしょうか。
監督:これはイスラム法なんです。ですから,他の国では存在しないかもしれないですね。
そして、もちろんイスラム教ができあがった日からそのままなので、変わらずに昔からやっています。
Q:日本での公開は決まっているんでしょうか。
監督:それは、監督の私からは何もお返事できないですね。
石坂PD:これから声が掛かればいいなということですね。配給会社の方、いらっしゃいましたらよろしくお願いします(笑)。
では、監督、最後に一言お願いします。
監督:遅くまでみなさん一緒にいてくださって、ありがとうございます。