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2019.11.01 [イベントレポート]
「時代に蔓延するフラストレーションみたいなものを宮本に背負いこませた」10/31(木)Q&A:『宮本から君へ』

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©2019 TIFF

 
10/31(木)Japan Now『宮本から君へ』上映後、池松壮亮さん(俳優)、佐藤順子さん(プロデューサー)をお迎えし、Q&Aが行われました。
作品詳細
 
安藤PA(司会):早速ゲストをお迎えしたいと思います。主演をされました池松壮亮さんです。そしてプロデューサーの佐藤順子さんです。では池松さん一言お願いします。
 
池松壮亮:池松です。ありがとうございます。質疑をやった方がいいので早めに終わります。Happy Halloween.
 
安藤PA:佐藤さんからも一言お願いします。
 
佐藤順子(プロデューサー):『宮本から君へ』にお越し頂きましてありがとうございます。監督が今アメリカにおりまして、本日代理でお邪魔させて頂きます。よろしくおねがいします。
 
安藤PA:真利子哲也監督は文化庁の企画でアメリカに留学しており、本日お越し頂けないというわけです。真利子監督が是非とおっしゃっていました、佐藤プロデューサー、この映画はどのような風に始まったのでしょうか。
 
佐藤プロデューサー:『宮本から君へ』という作品は池松さんにお話しを聞いて頂くことが一番いいと思いますが、映像化までにすごく時間のかかった作品でした。私のプロダクションは映画版に関わらせて頂き2年くらいですけど、ドラマ化までにいたってはすごく時間がかかった作品です。私の会社のスターサウンズというプロダクションに関してはたまたま新井秀樹先生の前作『愛しのアイリーン』という作品の映像化に関わっていたこともあり、映画化に関しては製作させて頂いたというのが始まりです。
 
安藤PA:真利子さんが絶対池松さんで「やりたいやりたい」とおっしゃっていたみたいですが、池松さんはその辺はお聞きになっていましたか。また池松さんも同じように思っていましたか。
 
池松壮亮:もちろん思っていました。僕の記憶では大体6、7年くらい前に、その時母体は違いましたがお話頂いた時に真利子さんと僕でということになっていました。
 
安藤PA:池松さんはこの映画の原作を読んだりして「この宮本は俺だ」という感じがありましたか。
 
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©2019 TIFF

 
池松壮亮:正直、主演の俳優がこんな事言うのはあれかもしれないですが、未だに良かったのかどうなのかよく分からないところがありまして。この原作は日本の伝説的な漫画であらゆる人のバイブルのようなものでした。そういうものを扱うということと、これだけの力が必要な役柄だったので宮本の抱える迷いや葛藤、そこからの突破みたいなものが自分に本当にできるのかどうかを撮影中もずっと考えていましたし、公開してからもまだふと考えることがあります。
 
安藤PA:今日は3分の2くらい映画を観て出てきてしまいましたが、この作品を観るのは3度目ですが、観るたびにこれは池松さんじゃないと成立しないのではと思います。池松さんと呼ぶ前に宮本さんと呼んでしまいそうなくらいぴったりです。今の社会では宮本さんはきっと生きにくい人ですよね。
 
池松壮亮:僕じゃなくて宮本さんの話ですよね。
 
安藤PA:そうです。
 
池松壮亮:いやもう、そうだと思います。
 
安藤PA:池松さんはそういう感じはなのですか。
 
池松壮亮:実は、今までやった役の中で一番「本当に池松がこの役をやれるのか」と言われました。そして同時に僕のことを深く知っている近しい人からこの映画化の話が来る前に原作の漫画を「これはお前がやるべきだ」と言って渡されたことがありました。それがこの原作だったんです。自分ではなんとも言えないですが、正直近しいところがあると思います。
 
安藤PA:赤の他人の僕が言うのはあれですが、映画を観ているとちょっと失礼かもしれないですけど、他の映画で演じていられる池松さんは、池松さんというよりは、他の例えば『斬、』なら武士だったり、『だれかの木琴』なら美容師だったり『夜空はいつでも最高の密度の青色だ』なら生きにくい人間をやっている。池松さんの場合、役者さんとしてそれになりきるというわけではなく、「池松さんだったらその役はどうなるだろう」と色々な監督がみんなおっしゃっている。そこに池松さんがいるのがすごく見えるんですよね。いい意味で。この映画は本当にそういう部分で池松さんの全ての部分が何か宮本の後ろに見える気がします。プロデューサーどう思いますか。
 
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©2019 TIFF

 
佐藤プロデューサー:本当におっしゃる通りで、この作品自体が先ほどもお話した通りものすごく時間がかかっていて、結構ドラマ版から映画版までの間にスタッフが変わったりもしました。
しかし池松さんの思いだったり、真利子さんの思いだったりを、私たちスタッフが形にしていく作業がすごく大変でした。現場の在り方もしかり、作品に対しての関わり方もしかり。私たちスタッフも、宮本と池松さんが一緒に見えてしまします。これは何だろうと思っていて、しかし現場を見ていると本当に演技をしている時とオフの時は完全にスイッチを切り替えているし、役を体に入れている状況なんだろうなと思いながら現場では見ていました。
 
安藤PA:これはきっと『宮本から君へ』だけではなく、映画って誰が作るのだろうって考えた時に、基本的に監督だったり脚本だったりという考え方があるようだけど、この映画に限ってはもちろん真利子くんの力が素晴らしいところもあるけれども、表現という意味での伝わり方は池松さんの肉体というか情念というかパッションとうかそういうものが全て伝わって来ますね。
 
佐藤プロデューサー:池松さんのパワーを起源として裕二役をやった新さんもそうですが、蒼井さんもしかり二朗さんもそうですが、全体的にそういうチームが集まった感じがすごくしました。それはもちろんスタッフもそうですし、監督もスチールを撮ってくれた佐内さんもそうですけど、エンドロールを手掛けて頂いた宮本浩次さんも全ての一人一人のパワーが発揮されて映っているのがこの映画だなっていう実感があります。
 
安藤PA:プロデューサーとしてはそうですよね。観ている側としては皆さんが表現をしようとしている。何かを伝えたいっていう形が、言葉とかセリフとかじゃなくて伝わってくるような気がしました。演じていてエネルギーは相当大変でしたか。
 
池松壮亮:宮本に起こりうることが、自分自身に起こりえたことがないことで、あまりにも重いことだったのでそういう精神的ダメージをキープすることはずごく大変でした。それと同時に、俳優ですが裏の作り手の人間として、映画がどう上手くいくようにということを考える時間は結構大変でしたし、難しかったですし、とてもリスキーだったと思います。
 
安藤PA:リスキーというのは失敗するかもしれないというリスキーですか。観ている側からしたら本当に見事に全身全霊で、これ宮本に見えなくても池松さんでもいいと感動しています。こういう感動の仕方もみなさんもしているのではないかな。
 
池松壮亮:どう宮本をアプローチしていくか考えた時に、あれだけの人物になろう、なろうとしても追いつかないと最終的に考えました。宮本の人生とか池松の人生とかどうでもいいところで突っ切ってみた結果、宮本と池松が後ろで同化してスクリーンに残っていればいいなと。多分そういう風にやらないとあの人には追い付かないだろうと思っていました。
 
安藤PA:宮本ってそんなに複雑なわけではないですよね。だからこそなんですかね。
 
池松壮亮:だからまたなぜ日本でいう平成から令和の変わり目に、また来年2020年の時代の変わり目になぜ『宮本から君へ』が作られるべきなのか、発表されるべきなのか、作られようとするわけなのかを考えた結果でもあると思います。
 
安藤PA:池松さんからも感じますが、昔日本人が持っていたに違いないDNAみたいなものが、何か住んでいるような気がします。そして大林宣彦さんが映画は「ちゃんとフィロソフィー持たなきゃだめだよ」っていいますが、この映画は映画自身にというよりは宮本という人物の中に極めた。あるいはそれを演じた池松さんにフィロソフィーを感じるような作り方ができていて、本当に素晴らしいと思います。平成から令和になって本当に、日本人ってこういう価値観だったのだろうと示して下さったよな気がします。
 
池松壮亮:あとはこんな人物いないと思うし、たとえば2・3年後に公開したところで「は?今更、何言っているの?」って言われると思います。しかし、ギリギリ滑り込みで何か平成30年の意地と言いますか、シンプルですけどより強く生きていかなければいけないという感じがします。宮本の説得力を持って言えば、イチローさんが「もっと強く生きなくてはいけないんだよ」といったところで、僕ら底辺の人間からすると「いやいや才能があるからだよ」と思ってしまいますが、ここまで社会の自分自身の他人の節度を越えて相手を愛することとか、そこから自分を愛することとかって、突き詰めれば宮本からあなたへ生きている奴は皆強いのだ、と言えるんじゃないかと信じていたところはあります。
 
安藤PA:その力はすごく伝わってきていると思います。ある種の情熱というか、池松さんの宮本というのが、僕らに1つかもしれないし、また色々なものをこういう形でと下さった気がします。
 
池松壮亮:本当に宮本の力なんですけど、何度も言うように生きていく覚悟とか、これまで生きてきた罪とか、そこからまた生きていく覚悟とか、親になる覚悟とか、そういうものを改めて見直す時が、世の中の時代としても来たような気がします。このようなものがずっと作られる世の中もよくないと思いますし、それでもなにか時代に蔓延するフラストレーションみたいなものを宮本に背負いこませて、なにか発言することができるんじゃないかと思っていましたね。
 
安藤PA:おっしゃる通りですね。この映画が「なんだよ、こんなのあたりまえだろ」って思う世の中が来たら本当はいいですよね。きっと。
 
Q:蒼井さんと実際この作品の中で関わられて、どういう風な状況でしたか。そのなかでどういうところが一番難しかったでしょうか。
 
池松壮亮:観ていただいて分かったように、よくこのご時世にセンシティブなことをやっていますし、蒼井さんはものすごく迷っていたことは知っていて、それでもなにか蒼井さんが靖子という役を通して、本当に生きる力を懇願している姿を見せてくれていました。とにかく僕自身は靖子という役が、映画を観終わった時にものすごく輝いていたらいいなと思っていましたし、映画というものを超えて表現のどこかで蒼井さんの人生とか、そういうものを映画に注ぎ込もうとしていたと思います。素晴らしい女優さんです。
 
Q:役柄がキレるスイッチが入る瞬間の池松さんは、どんな過程でキレるところにいくのですか。青山の円形舞台では女殺しの男を演じていて、イメージ的には今回の宮本の役に若干被るのかなと思うのでそのあたりをお尋ねしたいと思います。
 
池松壮亮:答えにくい質問ですね。まあ、いつも通りやっています。私生活通りやっています。嘘です(笑)。普段あまり怒ったりしないので。怒ることって結構重要なことだと僕は思っていて、人が生きるうえで、ひょっとしたら人が喜ぶことと同じくらいじゃないかなと思います。質問の答えになっているか分かりませんが、お芝居で笑うこととか怒ること、泣くことが多分僕の中には同率であって、特別難しいとも思っておらず、お芝居の一環という感じです。とにかく、嘘のないようにものを目指している、ということに繋がっていると思います。それから、今言ってくださった「リリオム」という作品でですね、あれは僕が20歳だったので、恐らくその2年後くらいに、この映画のオファーをいただいたと思います。それまで、怒る役をたくさんやる中で、どこか人に怒りをぶつけること、それは会話レベルでも大きな声をあげなくても、人に怒りをぶつけることに対して、僕はかなり昔から抵抗があり、そういうものも踏まえたうえでやってることがひょっとしたら宮本に繋がったりしているのかなと思います。
 
Q:プロデューサーさんに質問なのですが、過去と現在をスイッチさせる構成がすごく効果的だったと思うのですが、あれは原作がそうであるのですか。
 
佐藤プロデューサー:原作をいじっていません。そのまま物語がサラリーマン時代の宮本から、靖子と一緒なって親になるまでの物語を描いている原作なんですけれども、映画版もやるにあたり、ドラマ版が前半戦のサラリーマン編を描いて、後半私どもとしては真利子監督とずっと話したのは、映画から観ていただくお客さんにとってこの二人の物語をどう伝えるかというのを議論した時に、実はサラリーマン編の後半戦からスタートする脚本も書きました。今日ご覧いただいた作品の宮本がプロポーズして、靖子が受け入れる、これで終わる脚本もあったのですけど、監督と一番話したのはやはり強姦というテーマを描く以上、重いテーマをヒロインである靖子が乗り越えるのは非常に困難なことで、それも池松くんからもずっと脚本で意見を聞いたときに出ていた意見でした。やはりそれを描くという責任において、きちんと最後の出産までやるべきであろうという話になり、脚本をつくっていく中で恐らくそれを描くには海のシーンだった靖子の「自分は二つ命を持っているんだ、宮本には負けない」という台詞をどうしても残したかったです。あのシーンは結構どこにいれるか悩んだんですけれど、あのシーンにつなげるには、宮本と靖子の自分の親にこの出産を報告しにいくシーンは必要であろうという決断に至ったときに、辻褄というよりは、靖子と宮本の感情を繋げるために、時系列のシャッフルというのをやりました。これは、原作にはなくて映画オリジナルなところです。これで説明になっていますかね。

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