10/30(水)コンペティション『アトランティス』上映後、ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ(監督/脚本/撮影監督/編集/プロデューサー・左)、アンドリー・リマルークさん(俳優・右)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督(以下、監督):今回、東京国際映画祭に来ることができてとても嬉しく思います。そして、コンペティションの一作品として選んでくださった矢田部さんに御礼を申し上げたいと思います。また、日本の観客の皆様にも御礼を申し上げたいと思います。このような機会を利用させていただきまして、私たちのウクライナでは、戦争が続いている、そういったことをお伝えしたいと思っております。
アンドリー・リマルーク(俳優):ヴァシャノヴィチ監督に付け加えまして、私も今回このような機会を頂いたことに、御礼を申し上げたいと思います。このような温かいもてなしをありがとうございました。東京にきてまだ間もないのですが、徐々に慣れてきているのではないかと思います。観客の皆様、ご来場ありがとうございます。皆様が関心をもたれている質問にお答えしたいと思っております。
司会:監督にお伺いしたいのですが、現状をお伝えしたいとおっしゃった中で、いろいろな作り方のオプションがあったと思いますが、あえて2025年という近未来を設定された意図をお聞かせください。
監督:なぜなら私はオプティミスト、楽観主義者だからです。ただ残念ながら今回の戦争はすぐには終わらない、10年ぐらい続くのではないかと思っています。なぜ近未来を設定したかというと、これまで撮られてきた戦争に関する優れた作品は、戦争が終了してから10年ほど経ってから撮られたものです。ただ、今回私たちが直面している戦争が終わってから10年、15年となると、とても長い期間待つことになります。しかし、ウクライナでは今まさにこの戦争こそが最も喫緊のテーマ、問題なのです。ですから、私は舞台を近未来に設定するというトリックを利用したわけです。また、このような手法で、近未来に設定することで、政治的な様々な問題、政治的なニュアンスを回避することもできました。そして戦争というもの、戦争がもたらす結果、どのような環境破壊をもたらすかというように、戦争がもたらす災禍をより一般化、普遍化して伝えることができたのではないかと思います。またそれに加えて、やはり戦争や死を超える、克服するものがあるとするならば、それは愛、愛情なのではないかと私は考えております。
司会:アンドリーさんにお伺いしたいのですが、アンドリーさんは元兵士だとうかがっていますが、元々演技経験をお持ちだったのでしょうか?どのようにしてこの映画に参加することになったのかお聞かせください。
アンドリー・リマルーク:今回のウクライナでの戦争には1年半ぐらい関わっていました。戦争に参加していた経験者です。ただ映画の撮影は初めてです。今回の作品で初めて役柄を演じさせていただきましたが、私にとってこれは非常に忘れがたい貴重な経験だったと思います。驚きの連続であると同時に、撮影そのものが大変苦しいものでありました。しかし今後このようなキャリアを続けていきたいと考えております。
監督:実際、今回の作品を撮るにあたり、オーディションは非常に長いこと続きましたが、中々適した人が見つかりませんでした。今回、オーディションをするにあたって戦争に実際参加したことのある経験者だけを募っていたのですが、中々適した人材が見つからなかったわけでが、アンドリーさんと出会ったことは本当に偶然のきっかけです。実は私のチームのプロデューサーの一人がウクライナの東部に行っていたときに、彼を同伴してくれていたのはアンドリーさんでした。そしてプロデューサーが撮った彼の写真や動画を見た時に、私が「この人はいい、オーディションを受けてみないか」と提案したわけです。そういったところから彼の人生が決まった次第です。
司会:ありがとうございます。
Q:素晴らしい映画をありがとうございます。日常的な感じで撮っていた中で、唯一人と人が繋がる瞬間だけをサーモグラフィーのように撮っていたのは、言葉や声を排除した時に何かを伝えたかったからなのかなと感じたのですが、そのことに対して何かいただければ嬉しいです。
監督:おっしゃる通り特別な意図を持ってサーモグラフィーカメラを使用しました。実際に使用したのは映画の最初と最後、2つのシーンで使用しました。
最初のシーンでは兵士が死んでいく場面。すなわち、体温を持っていた体が、体温が下がり死んでいく、死を象徴するシーンでサーモグラフィーカメラを使いました。
そして、最後のシーンは対照的で正反対の意味です。砂漠のように冷え切った人間の心が一緒になることによって温かくなる。愛情によって、死んでいたかのような人間の体が温かくなっていく様子を表すためにサーモグラフィーカメラを使いました。最初の場面は死んでいく、最後のシーンは愛情によって死から生き返る場面でサーモグラフィーカメラを使いました。
司会:ありがとうございます。
Q:今日は素晴らしい映画をありがとうございました。私が見ていた中で、埋まっていた遺体を掘り起こし、身元を確認し、それを埋葬するという作業。また、終盤で出てきます、この汚されてしまった大地を清らかに戻すには何十年、何百年かかるかもしれない。しかし私たちはここを出ていくのか、それとも出ていかないのかというシーンがありました。
これらシーンは私たち日本の国土に住む人にとっては、10年前にありました震災とその後のことを非常に連想させます。しかし同時にこの土地で生きていくという力強いメッセージを私は受け取りましたが、作り手として日本で起きたそういう事象に対して何か意識があったのか。あるいはもっと普遍的なものを同じように重ねているのか伺いたいと思います。
監督:ご質問いただきましてどうもありがとうございます。ご質問に対して、私はこういったテーマを普遍化して伝えようと思っていました。すなわち、死せる土地の中で何が人間をその地に思い留まらせるのか、そういったものを書きたかったわけです。日本では、私も存じ上げておりますが、福島の原発事故がありましたし、ウクライナの東部に関しましては数年前に起きました戦争のせいで人が住めないような地域になりつつあります。
そして、ウクライナの東部で起きている環境破壊というのは、非常に大変で悲劇的な状況になっております。鉱山が打ち捨てられた状態のまま、荒廃した状態のまま放置されているわけで、そこにたまっていく水がどんどんどんどん水位が上がってきていて、これが上限を超えますと、やがてそこを超えて飲料水などの水の基盤を汚染するようになるわけなんです。このような戦争が続いていることによって、飲料水が汚染される、つまり、いずれは人間が住めなくなる土地になるということです。
司会:この映画が素晴らしいのはそういった深刻なテーマを扱いながらも、映像が本当にある種の美しさを持っている。そして愛ももちろんですけれども、ユーモアもどこかで非常に重視されている気がします。
そのユーモアの重要性と、やはり絶対皆さんもお聞きになりたいと思っているんですけれども、あのお風呂、どうやってあのお風呂を思いついて作られたのか、そして、お風呂のシーンの経験談はアンドリーさんにもお伺いしたいと思います。
監督:どのように今回の作品の着想を思いついたかというと、シナリオを書いてその後撮影に入るというのは私にとってはほぼほぼ難しく、不可能なことです。
お風呂のシーンは、私は最初からこのシーンを想定したわけですけれども、主人公の性的な、セックスアピールを見せるシーンとして用意しておりました。
ただ、最初はパワーショベルの中ではなくて、工場の鉄が入っているプール。あのシーンを想定したわけです。ただ撮影を進めていくにつれて、徐々にアイディアが少しずつ形を変えていきました。インターネットなどを通じて人が住んでいない地域をたまたま見つけ、こういったところで撮るのがいいんではないかというふうに変わっていきました。それで結果的にパワーショベルの中で入浴をするシーンになったというわけです。
アンドリー・リマルーク:私のその時の印象は、とても寒かった、水が冷たかった、そして大変だったということです。
司会:まだ水が温まってなかったんですか?
アンドリー・リマルーク:温まるまで待ってはいたんですけれども。
監督:温かい水をそのまま入れて使うということもできたわけですけれども、それをしてしまうと蒸気が出てしまいますよね。それが映り込んでしまうので、できなかったわけです。